米一粒仏七体

個人的備忘録です

「聾の形」と「琴浦さん」~コミュニケーション不全キャラ~

 今巷で話題になっている週刊マガジン12号の読み切り「聾の形」、興味があったので久々にマガジンを購入して読んでみましたが、噂になるには十分の面白さでした。 賛否両論だの何だの言われていますが、私は前情報を殆ど無しで読んだせいか、満足に楽しめましたし、感想を聞かれたら、面白かった、と人に勧められます。
 感想とも考察ともつかないものを、とりとめもなく書いてみることにしましょう。

 ヒロインの少女が聖人過ぎてリアリティが無い、という批判を沢山も読みましたが、私は寧ろ抑圧と不安から「いい子」としてしか振る舞えなくなっていて、それが終盤の主人公と殴り合いの喧嘩をしたシーンで解放されたように読みとれ、聖人過ぎる、という批判は的外れであるように感じました。
(勿論、エンターテイメントと供されるための相応の美化、身も蓋も無い言い方をすれば、『萌えキャラ』としてのキャラ造形をされていますが、それは目くじらを立てるような問題ではないと思っています)


 少し気になったのは、「この読後感は最近どっかで味わったことがあるぞ」というもやもや感で、少し考えて、「ああ、これは『琴浦さん』の一、二話を視聴した後と同じ感覚だと思い当たりました。
 『琴浦さん』を知らない方に大雑把に説明すると、他人の心が読める超能力者の女の子が、コミュニケーションに苦心しながらも、親しい友人達を増やしていくストーリーの、WEB漫画原作のテレビアニメです。
 この主人公の琴浦春香は、聾唖者のある意味正反対、他人には聞こえない筈のものが聞こえる体質なのですが、これは上手に使えば、人間関係を自在にコントロールすることもできる強大な能力です。ですが、主人公は対人関係を上手く理解できなかった幼少期に自分の能力が原因で他人を傷つけたことを恥じ、他人を避け、いじめの対象にまでなります。
 「聾の形」の主人公は社会で明確に定義された聾唖者ですが、「琴浦さん」は、ファンタジー寄りな世界設定での、限りなく脱臭化された形での障害者であると解釈できるのではないかと私は思っています。

 非常に不謹慎なことだと考えていますが、『障害者萌え』という萌え属性が存在します。『障害者萌え』を求める心理効果は、『障碍がある(弱者である)ヒロインを主人公が支える』という物語によって、自己有用性を認められた存在としての自分を、もしくは理想化された強者としての自分をロールプレイしたいというものであり、その是非は兎も角、非常に理解・共感しやすいものだと考えています。

 コミュニケーション不全キャラも萌えキャラとして多数存在しますが、その本質としては障害者萌えと同じで、他人に興味の無い、孤高な、若しくは孤独な存在のヒロインに認められる特別な存在としての自分をロールプレイしたい、という欲求を満たすために存在するキャラ・物語類型です。

 「聾の形」や「琴浦さん」のイジメシーンなどを見て、「ああ、僕だったら彼女をイジメたりせず、救いの手を差し伸べてあげるのに、そしたら僕は彼女にとっての特別な存在に・・・・・・」など考えてしまうような方は、ある意味一番これらの物語を楽しめるのではないでしょうか。

 「聾の形」での、非常にリアリティのあるスクールカーストの描写やイジメの描写は多くの書評で高く評価されていますし、私も素晴らしいと絶賛致します。でも、それ以上に私が評価したいのは、安易な和解へと軟着陸させずに、聾唖者のヒロインとイジメの主犯だった主人公との、殴り合いの描写を入れたことです。このシーンが入ることによって『障害者=心が純粋、健常者=心が不純』という、ありきたりな物語類型を破壊して、障害者健常者という枠を超えて、初めて二人が同じ土俵で対峙できた、ということを表現できていると感じています。
  喧嘩のシーンの最後のコマのヒロインの顔のアップ、その口許が少しだけ楽しそうに口角が上がっているのが印象的できした。その次のコマ、喧嘩の事後のシーンでは、主人公が暴力を振った男子として担任教師に首筋を掴まれ、ヒロインがイジメを受けた少女として母親に肩を抱かれているのも、当人同士の感情はどうあれ、社会は無条件にそう判断してしまうことを暗示しているように思えます。

 琴浦さんもそうでしたが、イジメを題材に使う物語には、当然のようにイジメを行う『悪役』が登場します。琴浦さんでは、イジメ問題は悪役の少女と和解を行うことで早期解決します。『聾の形』における悪役が一体誰か、というのは難しい問題ですが、イジメを率先した行った主人公、参加したクラスメイト、傍観した教師、どれも加害者という立場から見れば悪役であるように見えます。ですが、ヒロインの少女がクラス全体の足を引っ張り、快適だった自分達の生活空間を侵害された主人公を始めとするイジメの加害者達にも、十分にも同情の余地があります。(私はイジメ問題は、加害者だけでなく、被害者にも原因があるケースが多いという説を支持しています)主人公は物語中盤から、ヒロインに代わってイジメの被害者になりますが、これも主人公の因果応報的な面が強いでしょう。
 漫画として、どのキャラクターが一番読者から見て憎たらしく描写されているかはされおきます。私がこの物語の悪役と呼ぶに相応しい存在の一つに感じているのは、作品内ではあまり描写されてない、『ヒロインの親』です。
 ヒロインの普通小学校の生活は、結論から言えば破局で終わりました。その原因を作ったのは紛れもなく、困難を承知でヒロインを普通の学校に通わせたヒロインの親でしょう。
 (勿論、ヒロインが普通の学校に行ってみたい、と親に強くねだったのかもしれませんし、物語の主題が聾唖者と健常者の間のコミュニケーションの困難さなので、そもヒロインが転入してこなければ物語が始まりません。現実には親が体裁を保つために障害児を普通校に通わせることによって生じた悲劇も多いですが、この作品で私がヒロインの親が悪役だと主張するのは、単に『こいつが悪い』と指さすに足る悪役が居れば安心するという私のエゴです)


 『琴浦さん』はイジメ問題が解決し、主人公とヒロインのラブコメを中心とした物語に移っています。「聾の形」の二人のこの先が気になる! という声もちらほら聞こえますし、私も同意できるものはあるのですが、この物語は61pの短編で過不足無く終わっていますので、連載化などされないことを願っています。
 やっぱり、この漫画で一番心に残ったのは、クライマックスの主人公とヒロインが殴り合いの喧嘩をするシーンです。障害者を弱者として描写する作品が多い中、障害者を対等の相手として対峙することへの象徴的なシーンだと思っています。

 あと、障害者をテーマに扱った漫画で、私が印象に残っているものには、18禁のポルノ漫画ですが、『ラブイズブラインド』という短編があります。これは、視覚障害者の中年の男に恋した未成年の少女が、自分の年齢を詐って恋人関係となり、肉体関係を結び、最後には、男は少女に、未成年であることに気付いていながら、関係を止められなかったことを詫び、愛してくれたことへの礼を言って警察に自首をする、というストーリーの、障害者が加害者となる形の珍しい物語です。
 短編のポルノ漫画でしたが、ラストシーンの、自分を対等な者として扱ってくれたことに対して、泣きながら少女に礼を言う男の姿がとても印象的でした。

 

 何だかんだで、私は障害者を、=弱者=自分のエゴを満たしてくれる存在、という等号の連鎖で繋いでいくことへの、嫌悪感を覚えます。『琴浦さん』をラブ コメディとして楽しみながらも、そんな嫌悪を覚えることも何度かありました。(物語後半に入って、ヒロインの琴浦さんは弱者という属性を脱ぎ棄てて、対等 な人間関係を築きつつあります。物語のクライマックスは1、2話だと感じていますが、現在の展開には安心感を覚えています)
 障害者を萌え対象として消費する物語よりも、この「聾の形」のように、コミュニケーションの形を模索する物語の方が好感が持てるようです。
 とは言え、何だかんだで萌えは強し。この漫画もヒロインの西宮さんが可愛らしく描かれていたからでこその評価でしょう。萌えるな、なんて言う気は毛頭ありませんし、萌えの狭間にこの漫画のような素敵なメッセージを挟んでくれる漫画が、これからも沢山読めるといいな、と結んでおきます。

 

 

追記:聾唖者の登場する漫画では、すぐにバガボンドを連想しましたが、あちらはほとんど迷いなく、剣(肉体言語)=コミュニケーションと割り切っていますね。 

 

追記:柄にもなく長々と書きつづってしまいましたが、この漫画を読んで胸に溜ったものを吐き出したくなって筆をとりました。私と同じ思いの方は多いらしく、聾の形のレビューがあちこちに飛び交ったいます。

 語りたくなる作品、というのは私にとって名作の欠かせない条件ですので、それだけこの漫画は名作に呼ぶに値するでしょう。